名古屋家庭裁判所 昭和39年(家)1609号 審判 1965年4月22日
申立人 加藤忠男(仮名)
相手方 加藤まり子(仮名)
主文
本件申立を却下する。
理由
申立人の本件申立の実情
申立人は昭和二六年秋頃申立外死亡川村夫婦の媒酌により相手方と事実上婚姻し昭和二九年一月八日婚姻届を為した。(妻の氏を名のる婚姻であるが相手方及びその養父母は申立人を養子扱いにしない旨を確約している。)婚姻後申立人はひたすら家業のミシン機械販売業を営んで来たところ相手方の養父祐治は胃癌を患い約五年間病床にあつたがその間治療看病につくし一家を支えて来た。申立人と相手方との間には子供がなく相手方の養母とくは水商売の経験もあつて申立人と相手方の性生活に干渉し、祐治の死後は相手方を申立人にとられまいとしてとかく申立人夫婦の間に入つて申立人を邪魔者扱いし、「性生活に事欠かぬなら医師の証明書を取つて来い」などと罵倒し特に昭和三九年三月初頃から態度が冷たんになつたが同年五月一二日頃、とくの弟中川啓次と相手方を伴つて申立人の兄方を訪れ「申立人と相手方とは離婚したいが離婚話が結着する迄申立人の身柄を引取つてくれ。もし家を出ないなら食事や洗濯は相手方等と別にしてくれ」と申出た。そのため申立人はそれ以来外食し、洗濯も自分でするようになつた。しかし乍ら申立人は性的無能力者ではなく健康体で夫婦生活も行つて来た。もし性的無能力であるならば婚姻届をする以前に当然このことがとり上げられてしかるべきであり養父祐治もかつてこの事柄に関して一笑に附したことがある。結局相手方等の性知識過剰、要求過大によるもので婚姻当初からひたすら家業にはげんで来た申立人を使用人扱いし、殊に相手方は実父加藤守男の死亡によつてその遺産を相続してからその態度が強くなり夫婦間の事柄もすべて物質的な見方をするようになり、たまたま養母とくの弟中川啓次の長男が相手方所有の瑞穂区○○町○丁目一五番地所在空地を借受けたい旨を申入れた際申立人が反対したことから養母とくが自己の身内を近所に迎え入れることを遮ぎられたと思い込んだためか急激に相手方との夫婦関係も円満を欠くようになつた。そして昭和三八年五月一四日名古屋家庭裁判所に対して離婚の調停を申立てその原因として申立人に肉体上の欠陥があつて性生活を営むことができず子供も生れない。そのため昭和三二年頃から相手方との夫婦関係に円満をかくようになり昭和三五年三月二日離婚話がでたが合意がととのわず婚姻以来既に一〇年間我慢を重ねたが将来申立人とこのような生活をつづけることは到底耐えられないと述べている。上記調停事件は不成立となつたが爾来相手方は自室に施錠し、申立人の食事、洗濯等一切の世話を拒み別居生活をつづけている。よつて夫婦同居して本来の姿に戻るよう審判を求める。
本件申立にいたつた経緯
相手方は昭和三八年五月一四日申立人を相手方として名古屋家庭裁判所に離婚の調停を申立て(昭和三八年(家イ)第三一三号)その実情として結婚以来約一〇年間我慢を重ねてきたが申立人の肉体的な事由から性生活が殆ど満足に行えないことを挙げ一方申立人は同年六月三日同裁判所に財産分与の調停を申立て(昭和三八年(家イ)第三六〇号)本件申立の実情と同旨の理由に附言し相手方は申立人との夫婦生活が申立人の肉体的欠陥のため円満に行かないことを表面上の理由としているが真因は養母とくが相手方と謀つて申立人を加藤家より追出す目的のため離婚話をもち出しているもので申立人が相手方と事実上婚姻同棲するようになつてから一二年間加藤家のため無給で働いて来たにも拘らず犬猫同様の扱いをするのは人道上も許るさるべきでない、従つて離婚には異議があるが、最悪の場合離婚となるならば相手方に対して財産分与の請求をすると述べている。
上記調停事件は調停委員会の調停に付され一〇回にわたつて調停期日が開かれ種々合意に達するべく努力が為されたが昭和三九年二月一一日不成立に帰し、昭和三八年(家イ)第三六〇号財産分与請求事件は同日取下げられた。
調停手続中相手方は終始申立人に肉体的に欠陥があつて婚姻以来正常な性交を営みえなかつたことを陳述しその具体的な状態等を強く訴えていたため当庁調査官佐藤坦克をして申立人が昭和三五年四月名古屋市立大学病院泌尿器科に診察をうけた際の担当医岡直友よりその診断結果について所見を聴取報告させ、且つ当事者双方について当庁技官(精神科医師)山田豊の診断を受けさせその結果を参考にする等申立人等夫婦の婚姻関係破綻の原因を追究したが申立人は自己に性的な欠陥はなく正常に夫婦生活を営めることを固執し、且つ離婚については相手方が実父加藤守男から相続した遺産をも財産分与の対象にすべきであると主張し、最終的には財産分与乃至慰藉料額について合意に達しなかつた。その後申立人は名古屋地方裁判所に対し相手方を被告として財産分与請求訴訟事件を提起し(昭和三九年(ワ)第五五九号)昭和三九年五月三〇日同訴を離婚の訴に変更し、一方相手方も昭和四〇年二月一日申立人を被告として離婚訴訟を提起し、両訴は現に審理中である。(申立人、相手方の各審問、申立人代理人の陳述による。)
当裁判所の判断
上記調停事件記録および同調停中の当事者双方の調停委員会に対する陳述ならびに本申立手続における申立人、相手方及び加藤とくの各審問の結果によると申立人と相手方は昭和二六年一〇月二八日結婚式を挙げて事実上夫婦となり昭和二九年一月八日妻の氏を名のる婚姻届を為しその後相手方の養父加藤祐治、養母同とく、と同居していた。相手方は婚姻後申立人との性生活が正常に行えないことを経験し且つ子供も生れぬことを苦にし産婦人科医に相談し、又申立人ともども泌尿器科の医師の診断を受けたりして来たが、昭和三五年四月名古屋市立大学病院泌尿器科において診断をうけた際検査の結果申立人には精虫が皆無であつたこと、担当医の診断によればその他性器に稍々所見上異常な点がみられるけれども機能的に性交不能という程の欠陥は見当らず或いは精神的原因によるとも考えられないことはないがそのようにも断定しえない旨判定し、一方当庁技官山田豊の診断結果は精神的要因のみによるとは考えられないと述べている。ところで申立人は上記調停申立直前預金証書、株券等を持ちさりその後相手方に対して財産上の扶助は一切していないし且つ昭和三九年八月頃相手方加入名義の電話(○○局○○○○番)を無断で売却した。そして相手方住居の一室を依然使用し附近の工場でミシン機械の修理、組立をしている。(尤も申立人は他にも住所をもつているものの如くである。)相手方は申立人が就寝中寝室に入り暴力を振う虞があると怖れ養母とくに毎晩泊つて貰い(とくは相手方の実父加藤守男の建築したアパートの管理人となり一時当事者の同居する家屋を去つていた。)且つ就寝時その寝室に施錠している。そして申立人とは口もきかず申立人のため炊事、洗濯等はしていない。申立人は相手方との同居の審判を求めているがその意とするところは要するに相手方に対して主として精神的なつながりを基調とした夫婦としての協力扶助であり円満な家庭生活を営むべきことを求めるのであつてその中には夫婦としての性生活をも含んでいると考えられる。民法第七五二条は夫婦が同居し互に協力扶助しなければならないことを規定しており、同条の同居義務は単に夫婦が同一家屋内に住むことのみでなく当然精神的なつながりを基調とした夫婦としての共同生活をも含んでいると解すべきであるが申立人は昭和三八年五月一四日に前記調停の申立てられる以前から相手方に対しその収入を秘して経済的な扶助はしておらずその財産の一部を自己が占有し、調停不成立となつてから離婚の訴訟を提起しその紛争は主として財産上の問題に進展していること、なおまた、相手方が就寝時その寝室に施錠し養母とくを同室に泊め申立人を入れないようにしている点については申立人との夫婦関係の破綻が前記調停中に相手方の述べている性生活の極度の不一致であることに加え相手方としては夜間申立人が危害でも加えるかもしれないとの怖れからであつて腕力のある申立人から自己を守るためにはやむをえない行動であると考えられる。
上記諸事情に鑑み本件申立は権利濫用というべきであつて認容するのは相当でないからこれを却下することとし主文のとおり審判する。
(家事審判官 永石泰子)